奇数の美
一
最近の美術運動に於ける著しい傾向の一つは破形Deformation への追求で
ある。「破形」とは定まった形を破ることで、自由を求める人間の希願の現
れだと云ってよい。これを「不定形」とか「不整形」とか云ってもよいが、
分かり易く「奇数の美」と呼ぶことにしたい。「奇」とは何も奇怪という意
味ではなく、「偶」に対する「奇」で、「整わざる様」である。形を不均整、
不整備のままにすることで、要するに「破形」は「不均等」Asymmetry と相
通じる。これを簡単に「奇」とか「奇数」とかいう言葉で示すのは、割り切
れないものの深みを現すためである。(奇は「畸」でもよく、畸はきちんと
区画出来ない田を指す言葉である。)
しかし破形への主張は近代的であるとしても、実際には凡ての真実な芸術
は、何等かの意味で破形を示さぬ場合はない。何故なら自由を追えば整形を
破らざるを得ぬからである。特に中世紀より前に溯ると、処の東西を問わず、
表現は常に破形で示されていると云ってもよい。例えば中世時代の彫刻に見
られる怪異美Grotesque は明らかにデフォーメーションの美である。このグ
ロテスクという言葉は、美学上大切な寧ろ厳粛な内容を持つものであるが、
近時誤用されて猟奇的な意に俗化して了ったのは甚だ惜しい。凡ての真実な
芸術は何等かの意味でグロテスクの要素を持たぬものはない。日本で有名な
「四十八体仏」の如きも亦この性質が濃い。それ故破形の表現は決して新し
いものとは云えぬ。只近代に於いてはこれが意識的に主張されてきたのであ
る。
なぜ近世に於いて破形の美が強調されるに至ったか。それは真実な美を追
う者の必然な帰趨とも云えるが、近代の芸術家に大なる刺激を与えたのは原
始芸術であったと云えよう。近年各国が努力した探検と調査と蒐集とは、夥
しい新材料を提供したのである。誰よりもその美的価値を讃歎しこれに傾倒
したのは芸術家達であった。例えばマチスにしてもピカソにしても、その他
多くの作家達は、原始芸術に新しい美の泉を見た。求めていた破形の美、奇
数の美を、これぐらい自由に表現しているものはない。それはアフリカとか
ニューギニアとか、メキシコとか、その他の土地から、原始民族の作品が将
来され展示されるに至った、ここ二、三十年来の出来事である。面白いこと
には最も最新の芸術が、最も原始の芸術から、多分の糧を受け取っているこ
とである。それは印象派時代に於いて、日本の浮世絵が及ぼした影響に並ぶ
べきものであろう。
それ故、破形の美、即ち奇数の美は、何も新しい表現ではない。只その奇
数美の価値を新しく見直し、それを意識的に強調したのが近代芸術の特色だ
と云えよう。自由が破形におのずから帰するという意味で、破形の主張には、
深い真理があると云ってよい。自由な美である限り、奇数の美に必然に帰る。
二
しかしこの奇数の美を最も早く鑑賞し、又これを創作の原理たらしめたの
は、実に日本の茶人達で、今から三、四百年も前になるのである。例を茶器
にとれば何もかも分かる。どこかに破形を示さぬ茶器はない。裏から云えば、
完全な整備された器物は、茶器に選ばれておらぬ。
「茶」の方では「数奇」(すき)という言葉を長い間用いた。今日も「数
奇者」とか「数奇屋」とか「数奇を凝らす」とか色々の言葉を用いる。桑田
忠親氏の『日本茶道史』によると、「数奇」という言葉は、「好」(すき)
の当て字に過ぎぬという。そうして同氏の本には、一切数奇の字を用いず、
「数寄」と改めてある。
もともとこれが「茶」で用いられる以前に、「歌数奇」なる言葉が文献に
見えているが、いつしか「茶」の方の専用語に転じたと云われる。さて、今
は「数寄」と記す人も多くなったが、元来は恐らく、凡てが「数奇」と記し
たのではあるまいか。足利義政時代、つまり文安年間(1444年頃)に編
集されたと思われる漢和の字書である『下学集』には数奇とある。それに一
般にゆき渡った字引の如き『節用集』を見ても、寛永頃(1624年)まで
のは「数奇」と記し、正保(1644年)、慶安(1648年)に至って始
めて「数寄」なる字が現れたと云われる。それ故大体から云って、一休、珠
光、紹鴎、利休、織部、宗湛、光悦の如き人々の現れた時代、即ち十五世紀
半頃から十七世紀の始め頃までは、どうも凡て「数奇」と記したようである。
この期間が茶の黄金時代であったのは言うを俟たぬ。
スキ
では何故「好」の代わりに「数奇」と記すようになったのであるか。桑田
氏は単に当て字に過ぎぬと云われるが、もしそうなら万葉仮名で「寸紀」で
もよく「須幾」でもよい筈であるのに、何故ひとり「数奇」と定めたのであ
ろうか。若しも単なる当て字なら、何も易しい「好」の一字を避けて、却っ
て字画の多い「数奇」の二字に変えずともよくはないか。単なる当て字以上
の意味を、この二字に托したのではなかったか。当然そういう問いが起ころ
う。それで数奇の二字に別に意味はなく、只「好」の字の代わりに用いたと
いう説と、「好」を「数奇」に変えたのは意味があると説くのと、二つに解
釈が分かれる。
最も分明に後者の立場をとっているものに『禅茶録』がある。その趣旨は
贅沢な好みに片寄ることを排し、寧ろ足らざるに足るを知るのが数奇の意だ
と云う。奇は偶に対する言葉で、何か不足するもののあることを暗示する。
つまりそれは奇数の様で、完からざるものを指すのである。数が奇数で零余
(はした)が現れ、不充分さを示唆するところに、茶精神を見るのである。
それ故、数奇の二字には明らかに「茶」への理解が含まれ、それに深い意味
を持たせてある。それ故「好」の単なる当て字に終わるのではなく、茶美が
奇数美に在ることを暗示するのである。私もこの見方に組する者であるが、
意味は数奇も奇数も同じである。只前者は茶語であり、後者は新しい一般語
だという違いに過ぎぬ。それで「数奇」は「好」と同音の当て字であり乍ら、
異義を持たせてあると見る方が正しいと思える。それに最初は「数寄」と記
さなかったことは前にも述べた。
三
「好」は「すき」とも「このみ」とも読むが、「絵好」「歌好」などとい
う言葉は古くから見かける。しかし好みには浅い好みがあったり、物好きに
溺れたり、しかも色好みなどいう連想もあったりして、とかく茶の道からは
スキ スキ
離れる。それ故「好」と区別して、わざわざ「数奇」の二字を用い、別に新
しい意味をこの言葉に持たせたと見るべきであろう。
それでは何故「数奇」と始めに記したのに、いつしか「数寄」の文字をも
用いるようになったのであるか。恐らく理由は次の如きものであったであろ
う。数奇は「すき」と読む和語であるが、漢語でも同じ「数奇」の文字が用
スウキ フシアワセ
いられ、これは「すうき」と発音する。この漢語の「数奇」は「不倖」を意
味する。「数奇の運命」などよくいうが、出来事の多い一生のことで、特に
悲しみや苦しさの多い命数を指すのである。それで数奇という和語から漢語
の「不幸な」という連想を避けるために、新しく「数寄」なる文字を用いる
者が出たと思われる。
「寄」は「心を寄せる」で、従って「好」の意を留める。かくして新しく
数寄が和語となり、人々により或は数奇とも或は数寄とも記されるに至った
のであろう。しかし数奇の二字が本来の形であるに違いない。「奇」の方が
「寄」より、意味に筋道が立とう。
桑田氏はその好著『茶道史』に於いて、凡て「数寄」の字を用い、同書に
引用してある古記録に於いても、「数寄」の二字を採っているが、しかし私
の知り得たところでは、「二水記」大永六年(1526年)七月二十二日、
青蓮院の条には明らかに「数奇宗珠」、「数奇の上手」となっていて、桑田
氏が、これを「数寄」の二字に改めたのは、不用意ではなかったろうか。或
は又学者のことであるから、何か充分な根拠があるのかも知れぬ。しかし恐
らく同氏の考えでは「数奇」は単に当て字に過ぎぬから、数奇でも数寄でも
何れでも同じで、強いて数奇とすべき要はなく、かくて皆「数寄」の字に統
一されたのかと思われる。しかし果たして単なる当て字に過ぎないか。何故
当て字としてなら「寸紀」「須幾」なども考えられるのに、敢えて「数奇」
の二字を選んだのか。どうもそれには理由があると思われるのである。
四
それ故「破形」即ち「奇数形」は、別に新しい表現の道ではなく、却って
一切の真実な芸術が必然に要請するものだと云ってよい。只、前にも記した
通り、その破形の美を新しく見直し、意識的にそれを強調したのが近代芸術
の特色であるが、東洋ではそれよりずっと以前から、茶の湯に於いては「数
奇」の美として厚く鑑賞せられた。この数奇は近代のデフォーメーション又
はアンシンメトリと近い意味を持つものと云えよう。茶人達はそういう美の
上に茶の道を立て、又そういう美を示す器を、茶器に取立てたのである。
それ故茶人達の愛した美の世界には大に近代的なものがあり、寧ろその先
駆を為すものであって、この歴史的事実はもっと注意されてよいであろう。
東洋で発達した南画の道なども、西洋では発達の跡がなく、新しい美学を要
請するものと云ってよい。美学と云えば、西洋の考え方のみを追うのは甚だ
見識がない。もっと東洋固有の自主的な美学が建てられてよい。
近時米国の焼物に所謂 'Free form'(自由形)が主張され、態々形を曲げ
たりして不均等の美を出そうと試み、これが一種の流行にさえなってきたの
である。しかし日本に於ける楽焼の如きは、謂わば「自由形」の先輩で、何
れも破形にその美を追ったのである。明末に日本の茶人達が支那に註文して
作らせた磁器が、今日色々残っているが、元来支那にはない人為的にゆがめ
た形をしばしば見かける。これは何れも「茶」が要求した破形、即ち奇数形
なのであって、陶磁史上特別な存在だと云ってよい。
今日米国で作られる個人陶が殆ど東洋風なものであるのを考えると、新し
い自由形の運動は、元来茶器などから影響を受けたものとも思える。
五
茶人が愛したそれ等の奇数の美を、新しい言葉で説明しようとしたのは岡
倉天心であった。その著『茶の本』には、奇数の美を「不完全の美」と呼ん
だ。今の人達にはこれで一段と分かり易くなったかも知れぬ。「不完全」は
もとより「完全」に対する言葉で、つまり「完全な形をしていないもの」を
指すのである。茶器を考えればすぐ気付くことであろう。形に歪みがあった
クスリ
り、肌が荒々しかったり、釉にむらが出ていたり、重ねの跡が残っていたり、
時には疵があったり、凡ては「整わざる様」、「きちんと割り切れていない
姿」、つまり完全でない様なのである。所が茶人達はそこに無量の美を見て
とったのである。それを天心は「不完全の美」と呼んだのである。
では何故完全な美を避けて、不完全さに美を見るのか。説明を試みれば次
のようになろう。仮に形がきちんと整っていると、それは完全さに決定され
て了って、余韻も何もなくなる。つまり含みなどなく、自由さが拒否されて
了う、その結果、完全な様は、静的で規定的で、固く冷たいのである。人間
は、(恐らく自身が不完全なるため)、完全なものに不自由さを見出すので
ある。既に割り切れていて、無限なるものの暗示がないからである。美しさ
には、ゆとりがなければならない。それはいつも自由さと結ばれたものであ
りたい。否、自由さが美しさなのである。何故奇数を愛し、破形を恋うので
あろうか。人間は自由の美を求めて止まないからである。それ故にこそ不完
全さを要請するのである。茶美とは不完全美である。完全な形は、却って充
分に美しい形とはならぬ。
六
しかしこの天心居士の不完全説に、あき足らずして、新しい構想を立てた
のは久松真一博士で、その著『茶の精神』に、その趣旨が述べてある。不完
全というのは畢竟完全に到る途中を意味するに過ぎぬ。完全でないというよ
うな性質が、直ちに深い美と結ばれる謂われがない。不完全さは消極的内容
に過ぎまい。真の茶美はもっと積極的なものでなければならない。それ故不
完全な位置より、更に進んで「完全への否定」に到らねばならない。完全と
いう固定された世界を打破することによって得られる自由を示さねばならな
い。そういうものは単に「不完全なるもの」ではなく、完全への積極的否定
である。この構想はたしかに天心居士の思想を更に一歩進めたものであって、
一層明確に奇数の美の性格を解明したものと云えよう。
例えば「楽茶碗」などを見ると、「完全への否定」という説明が、はっき
りしてくる。それは只不完全な未完成な形ではなく、完全の固定を打破しよ
うと企画したものである。「楽」が手作りなのは、轆轤による完全な円形を
拒否するためである。しかも胴体や縁作りや高台を、削ったり押したりして、
全体に歪みを与える。それに肌を滑らかにさせず、荒々しくしたり、掛ける
釉にむらをつけて態々濃淡を与える。これ等の一切の意図は完全への打破な
のである。この否定によって茶美に生命を甦えらせようとする。この志向は
実に茶器にのみ止まらず、日本陶磁の全般に及んで、随所に畸形が見られる。
凡ては茶の湯の影響だと云ってよい。茶以前にかかるものなく、正に近代の
デフォーメーションやフリー・フォルムの先駆を為すものと見なしてよい。
その凡ては完全への意識的否定なのである。
七
だが天心居士の「不完全の美」、又は久松教授の「完全への否定」で、充
分茶美の本性を言い尽くすことが出来るであろうか。私には何れも未だ不充
分な説明だと思われてならぬ。
完全不完全は、詮ずるに相対の言葉に過ぎまい。又否定肯定も同じである。
不完全が若し完全に対するもの、完全への途上にあるもの、もしくは完全を
否定するものであるなら、何れも相対の意味を出まい。そんな内容の不完全
さに究竟の茶美が止まっている筈はない。茶美を「無相」に理解することが、
その真意であろうが、それなら無を否定に止めてはなるまい。否定も肯定も
共々無相を離れたものであろう。
それ故真の茶美は完全と不完全との何れにも止まるものではあるまい。そ
ういう区別の絶えた境地、或は完全と不完全とが未だ分かれぬ以前の世界、
或は完全に即する不完全というような境地にこそ、茶美がなければならない。
それで畢竟二相に囚われぬ自由の美こそ、その本性なのである。かかる美を
私は奇数の美と仮りに呼ぶのである。この場合奇は単に偶の対ではなく、偶
にも奇にも依らない故、おのづから零余(はした)を生ずるというに過ぎぬ。
それ故「奇」の真意は畢竟無碍なることである。それ故意識的否定としての
破形の如きは、未だ無碍の境とは云えぬ。共に完全不完全に滞り、肯定否定
に縛られていると云ってよい。そういう区別の葛藤以前にこそ、真の自由が
あるのである。ここで以前とは、もとより以後への対辞ではなく、実は前後
の時間を許さぬ境地を指してのことである。近代の破形への主張の如き、未
だ充分の自由形とは思えぬ。
八
実例を挙げればすぐ明瞭になろう。朝鮮茶碗にしろ唐物の茶入にしろ、完
全さを求めて出来たものでないのはもとよりであるが、同時に不完全さを狙っ
て作られたものでは決してない。同じように完全に反発して、その否定を企
てた結果でもない。そんな分別が発する前に、素直に出来て了ったのである。
否、分別の前後などよりも、そういう分別が意味を持たない世界での仕事と
シ シ
見た方がよい。禅語に「只も」という言葉があるが、それ等の器は、只もに
作られたに過ぎぬ。それは元来は雑器であって、茶器などのために作られた
ものではない。それ故「完全への否定」というが如き意図を持つ縁からは甚
だ遠い。又不完全に美を感じた上での作物でもない。只作られたのである。
いとも平易に坦々と作られたのである。然るにこの「只」の境地こそは、心
シ
を凡てのわだかまりから解いてくれる。「完全への否定」なら決して只もに
シ
作るのではない。それも自然に事無く出来上がるのである。それ故実に「只
も」という考えすら入らぬ境地で作られて了うのである。それ故にこそ「只」
なのである。この「只」に住む故に無碍なのである。謂わば無住の住にいる
のである。雅致など狙えばすぐ不自由に落ちて了う。同じく自由を狙えば、
その自由に囚われて了う。それ故完全を否定するなら、新たな不自由に落ち
よう。例の茶碗も茶入も、そんな不自由さを持たぬ。
それ等の茶器を見ると、形に幾許かの歪みが見える。だがそれは自然にそ
うなったまでで、実際には歪むことにも歪まぬことにも無関係なのである。
「かいらぎ」などに見られる膚の荒々しさも、わざとそうしたのではない。
クスリムラ
雑器なので、とかくそうなるに過ぎぬ。釉斑も、色に景色を求めたからでは
ない。無造作に釉掛けするので、自然にそうなるまでである。それも無造作
がよいからとて、態々無造作に作ったのではない。始めから、そんな持って
廻った仕組みなどは持たない。もっと作り方は平常で自然で自在で無碍なの
である。
つまり分別心に心の居場所があるのではない。それ故分別後の仕事とはな
らない。否、その前後すらなく、只作るのである。それ故、その「只」にも
オトナ
囚われてはいないのである。試みに朝鮮を旅してその工房でも訪えば、凡て
の謎が解けるであろう。その仕事場、轆轤の据え方、挽き方、釉の掛け方、
絵の附け方、窯の築き方、焚き方、何れも皆自然さそのものなのである。風
が吹き、雲が動き、水が下に流れる様と、そう大した変わりはない。この融
通無碍な様こそは、尽きぬ雅致の泉なのである。雅致など狙えば、どうして
そんな雅致が現れよう。忽ち不自由なものに陥るからである。美しさがおの
づから奇数を帯るのは、如何に無碍だかのしるしなのである。
九
ソソウ
茶人達は「数奇」を又「麁相なるもの」と云ったが、こういう境地に美の
深さを認めたのは茶人達の卓見であったと云ってよい。「麁」は「粗」で、
荒い様で、奇数の意である。かかる麁相なるものに美を味わったのは、日本
人の美意識や美体験の、著しい、又特に優れた点だと云ってよい。かかる
「麁」は、宗教的理念である「貧」に通じるものであって、「麁相なるもの」
を「貧しさの美」と呼んでよい。もとよりここで「貧」というのは、富の反
律としての貧ではなく、寧ろ真の富をつつむ貧で、長らく東洋の哲理が説い
た「無」の境地である。有無に滞らぬその無である。それが形をとる時、
「渋さ」とも呼ばれ、凡ての美の目途となった。渋さは詮ずるに麁相の美、
貧しさの美である。茶人達が無地の美の深さを味わったのもその故である。
かかる「貧」を美の世界に追求したのは、日本人の優れた美観を示すものと
云えよう。
かく奇数の中に美を見つめたことに於いて、如何に完全を求めたギリシャ
人の美の理念と異なるものがあろう。そうしてその影響を強く受けた西欧人
タイセキ
の、美に対する考えと、如何に対蹠的なものであろう。例えば西洋の焼物に
は無地ものが極めて少なく、又それを味わう見方も、殆ど見られないのであ
る。奇数よりも偶数を追ったのが西洋の見方であるとも云える。つまり割り
切った形である。
ギリシャ美学の理念は完璧な美に置かれたと云えよう。そうしてその典型
的なものを、均斉のとれた人体美に見たのである。平衡の整ったギリシャ彫
刻はそれを物語ってくれる。東洋はこれに対し、奇数の相を追い、その現れ
を自然の中に見つめた。前者は割り切れた均斉の美、後者は割り切れない不
均斉の美である。茶道はいつも後者の美の深さを語るが、これを広く東洋的
又は仏教的見方と見なすことが出来る。
或はこの対比を「合理的なるもの」と「不合理的なるもの」と言い改めて
もよい。西欧に於いて科学が発達したのは、合理性が、ものの考えの基礎を
なしているからである。東洋では理性よりも寧ろ直観の立場を選んだのであ
る。それ故非合理性に意味を感得するから、理知から見れば、飛躍とも云え
る。決して斬進的ではない。それ故ものの見方は論理的体系に依存すること
が少ない。西洋で早く機械文化が発達したのに対し、東洋で今尚手工が大き
な働きとなっているのは、その対比を物語っていよう。
茶器の如き、誠に理知の所産ではない。割り切れた美しさとは違う。それ
故時として「不完全なる美」とも「完全を進んで否定した美」とも云われた
のである。何れにしても説明的な美ではなく、常に暗示的なものなのである。
外にはっきり示される美ではなく、内にこもる美なのである。かかる含みを
宿す美を「渋さの美」と讃えたのである。作る者が見る者に明示する美では
なくして、寧ろ見る者に、美を引き出さしめる品を作るのが真の作者となっ
てくる。かかる意味では、見る者を作者にせしめる美が、渋さの美、茶の美
だと云える。
十
茶美が無碍の美を示すということは、それが造作の美に止まったものでな
いことを語る。平たく云えば作為の美でなく、作為から自由に解放された美
だと云える。必然な自由さがある故、これを無碍の美と言い得るのである。
つまり只の純な自由で、自由を目的とした自由ではなく、おのづからの自由、
自由そのものと云ってよい。
そうすると初期の茶器に見られる形の崩れと、近代美術に於けるデフォー
メーションとは、相通うものがありはするが、その間に根本的な差異があろ
う。前者は必然の破形であるが、後者は意識的な意図に依るものである。つ
まり奇数の美を意識して、強いて奇形に造作したものである。然るに初期の
茶器は、正形にも奇形にも、こだわらないところから来た自由形なのである。
而もそういう自然な奇形が美しいと分別したからではない。自由という考え
にすら滞らぬ自由なのである。然るに近代の自由形は、自由を標榜している
のである。つまり自由主義に発する自由なのである。かかるものを真の自由
と呼べるであろうか。自由主義に囚われては、自由でない証拠とも云えよう。
自由主義にはそれ自身自家撞着があろう。自由そのものなら、自由などを目
あてにはせぬ。
それ故茶器に見られる奇数美と、近代で求められた奇数美とは、性質が甚
しく違うのである。後者は目的的な仕事に過ぎない。茶器の方は作る者と作
られる物との間に、そんな二元的関係はない。だから非目的的と説いてもよ
い。寧ろ目的に即したものと云ってもよい。一方は破形に囚われの身である
が、一方は何ものにも囚われないところから来た必然な破形なのである。そ
れ故近代のは、自由の主張に縛られた自由であって、これを無碍の美とは言
い難い。無碍の世界には主張などは、要をなさぬ。融通無碍などという言葉
があるが、自由主義にはこの融通がない。凡て主義に立てば、無碍ではなく
なる。
ここに最も重要な問題があろう。近代の破形美は、自由を求めてのことで
はあるが、未だ充分に自由なものとは云えぬ。寧ろ自由にこだわった新たな
不自由形と云ってよい。それ故近代美術の著しい弊は、自由の主張による不
自由さだと云えよう。決して無碍の破形には達しておらぬ。
茶人達の眼は何に驚いたのであろうか。「只の自由」を見てとって、そこ
に無量の美を感じ、そこに美の深みを味わったのである。「数奇」という言
葉には、含蓄があろう。足らざるに足るを感じるのが茶境なのである。奇数
に自由の面目を見つめたのである。その奇数は偶にも奇にも囚われないとこ
ろからくる必然の奇数をいうのである。必然なデフォーミティーであって、
作るデフォーメーションではない。この区別は肝要だと思える。
大体デフォームという言葉は、「具わらざる様」を意味するため、「不完
全」という言葉にも置き換えられているが、前にも述べた通り不完全は完全
に対する言葉で相対の意味を出ぬ。真の破形は完全不完全の別を越えたとこ
ろから発するのである。それ故具わって具わらざるもの、又は具わらずして
具わるものがあるのである。只の「具わらざる様」では、二次的なものに過
ぎまい。
十一
この関係を最も明瞭に示すものは、初期の茶器と中期以降の茶器との差異
である。例えば茶碗の歴史を見るとしよう。最初のは殆ど凡て「渡り物」で、
特に朝鮮の品がその王座を占めた。然るに日本でも制作が試みられ、やがて
「渡り物」から「和物」へと歴史は推移して行った。これを発展と見る史家
もあるが、私から見れば、変化とは云えても進歩とは云いかねる。なぜなら
両者に見られる不整形、即ち奇数の美はその性格が全く違い、而も後者が前
者に優る結果を見せたとは決して云えぬからである。前者には無碍な心が生
む必然な形の崩れを見るが、後者には完全を否定しようとして生まれた造作
が見える。ごく平明に前者を「自然なもの」後者を「作ったもの」と区別し
てもよい。「井戸」と「楽」とを対比させると、これ等の性質が鮮やかに浮
かぶ。作為を示さない「楽」がない如く、作為を示した「井戸」もないので
ある。一方は始めから雅器として作られ、他方は終わりまで雑器だったので
ある。一寸考えると、雅器は雑器の前に、その優越する位置を誇り得る筈で
トコシ
あるが、結果から見るならばどうであろうか。「井戸」は永へにその美しさ
に於いて優越を示すであろう。なぜであろうか。
理由はいとも簡単である。「造作を慎しめ」という禅の教えに、何れが適っ
ているかを思えば釈然としよう。「楽」にはわざとらしさがつきまとうので
アラワ
ある。意図が露だからである。「楽」の中で最高の位を贈られている光悦の
「不二」でも、作為の跡は消えておらぬ。こしらえた自由の美を、ぬけきる
ことは出来ない。作りものは始めは人を魅するかも知れぬが、その意表さに
はいつか厭きが来よう。本来そういう作為的な性質のものだからである。こ
の意味で在来の「楽」は未だ充分に茶美を示したものとは云えぬ。少なくと
も今までの「楽」では茶美は解決されてはおらぬ。
それ故「高麗もの」から「和もの」へは、歴史的推移ではあっても、高揚
とは云えぬ。自由さが「和もの」で却って曇って来たからである。低い自由、
濁った自由とでも云おうか。却って囚われた姿となって現れているのは、大
きな矛盾と云えよう。「楽」は無事ではなく、有事に始終しているのである。
ここが「楽」の弱みと云えよう。自由を求めて自由に成り切れないのである。
自由の美しさを意識する者の業と云おうか。「楽」が充分茶器たるためには、
更に甦って新たな歴史を踏み始めねばならない。一旦意識を起したからには、
道は難行である。意識を用いて意識に止まらぬ境地へ出切らねばならぬ。造
作であって造作に終わらぬ世界を示さねばならぬ。ここが難中の難なのであ
る。しかし作家たるからには、これと当面せねばならぬ。どのみち自力の一
門をくぐる「楽」である限り、難行はつきものである。朝鮮の品々が他力の
道によって成仏を遂げたのとは類が違うのである。
今のフリー・フォームの動きは、「楽」の道を追うに等しい。それ故徒ら
に「楽」の犯した誤謬を繰返すべきではあるまい。不自由な自由形に終わっ
ては、何の意味があろう。皮肉であるがフリー・フォームはもっとフリーで
エセ
なければならない。似而非自由では、自由とは云えぬ。自由の旗を掲げるこ
とに、既に不自由があろう。おのづからの奇数と、造る奇数とを混同しては
なるまい。
それ故奇数の美は、奇からも偶からも解放される時、始めてその本来の美
を現すのである。真の不均斉は共に均斉と不均斉とから自由になった時にの
み可能なのである。均斉に対するものである限りは、真の不均斉とは云えぬ。
ミショウ
それ故両者未生とか両者相即とかに、本来の面目があるのである。不均斉へ
の肯定も均斉への否定も、共に美の極致には触れぬ。茶道はこの真理を示す
ものである。この意味で、茶道は近代芸術の自由性を訂正する力を充分持つ
と云えよう。至上の美はおのづから奇数の深みにいたらざるを得ぬ。
(打ち込み人 K.TANT)
【執筆: 昭和29年12月】
(出典:新装・柳宗悦選集第6巻『茶と美』春秋社 初版1972年)
(EOF)
編集・制作<K.TANT>
E-MAIL HFH02034@nifty.ne.jp